たねやの嫁です。
2025年 とうとう年賀はがきが85円、定型封書が110円に値上がり
値上げが原因というわけではありませんが、値上げしたとて、郵便局の作業負担に比べて、こんな金額ではやっていけないのだろうな〜という想いも強くあります。
ありがたい事に、年賀状でつながっていただけいていた方達も多く、大事にしたいという気持ちもあったのですが・・・。
今年は、とうとう1月2日になって、やっと年賀状を書き始めるという始末。
生活が自動化できることも増えて便利になったはずなのに、昔できていた事が後回しになっている。
自分の生き方を見つめなおすきっかけとしても、今回は大きな決断をしました。
1年に1度の年賀状。
それに込めてきた想い。
寂しいけれど、送られてくる方にも、小さな負担があるのかもしれないと思うようにもなりました。
今後、もっともっと人と人とのつながりが希薄になる事を感じつつ。
日本という国で生まれ育って、当たり前だったことが、なくなっていく。
カラスは見るけど、すずめやハトが姿を消しつつあるのは、どういう事なのかな〜。と思ったり。
今年は金谷で毎年食べるがじめ汁、不漁のため「あさり汁」になっていて
あっさりと、何か変わりのものに置き換わってしまう虚しさ。
2024年1月1日にお正月を迎えていた能登の人たちに突然訪れた災害が、未だ復旧のめどがたたず、失われた平和な日常。
母に見当識障害が強くみられたのが昨年12月20日から。
それまでも、何度か私の顔の判別がつかない日があったりしたが、父を父と認識できない状況が1日、朝と夜毎日続いている。
不安が募り、私に電話をかけてくる。
怖がっている。
なぜ、あの男が家に当たり前のようにいるのか?と言ってくる。
説明しても、違う人格で形成されている脳の母との話は、元の人格では引き継がれていない。
その時の不安を取り除いてあげるために、話をするしかない。
そして、見守りカメラを設置しているので、それで、ちゃんと見ているから大丈夫だよ。と伝えてあげる。
正しい事が何であるか?
手探りではあるけれど
でも、世の中のさまざまな事象は、あまり希望が持てる方向に進んでるようには思えない。
だからこそ、元気な人間は、元気にたくましく生きようという力と意識を高めなきゃいけないんだろうなぁ〜。
いずれ、自分も同じく歳をとるのだけど
そして、悲惨なむなしい状況が待っているのかもしれないけど。
憂い立ち止まったら、みんな寂しい方ばかりを見て生きていかなきゃいけなくなる。
せめて、今の私は、支えとなれるようにがんばろう。
そんなわけで、まだまだこれから諦めていくことも増えるでしょうが、どうぞよろしくお願いします。
ラベル:年賀状じまい